TRUMPシリーズ短篇小説『エゴ・ヴェラキッカ、お前は誰だ?』

【Warning!!】この短篇小説には『マリオネットホテル』本編のネタバレが含まれています。ご観劇前にご覧になる場合はご注意ください。


 吸血種と人間種が共生を目指す世界にあっても、領土は目に見えぬ境界、もしくは目に見える境界で隔てられていた。吸血種の領土の大部分は血盟議会の支配領域にある。だが、独自の支配体制で領土を取り仕切る荘園がいくつかある。その中でもヴェラキッカ家は、荘園を長いあいだ維持する一族だった。

 ヴェラキッカ家の御曹司であるエゴ・ヴェラキッカが屋敷から姿を消したのは、10歳の誕生日を迎える頃のことだった。幼少期から次期ヴェラキッカ家の当主となるべく英才教育を叩き込まれてきたエゴは、一度たりともそれを当然のことだとは思えなかった。エゴからしてみれば、自分より優秀な姉のフリーダこそが当主となるのに相応しいという確信があったからだ。そんなエゴの思惑など理解されることもなく、他の貴族階級と同じように、ヴェラキッカ家の当主もまた長たる男子が世襲することが通例であった。古めかしい慣習に縛られるのは真っ平ごめんだ、とエゴは思った。ヴェラキッカ一族の歴史を遡れば、過去に女性が当主を務めていた事例があることもエゴは知っていた。ジョー・ヴェラキッカ。没落しかけたヴェラキッカ家を夫であるカイ・ヴェラキッカと共に立て直した傑物である。カイに先立たれたあと、ジョーが当主となった時代がある。それほど長い期間ではなかったものの、確かにジョー・ヴェラキッカは当主だったのだ。そんな過去の事例があるせいで、フリーダこそが当主に相応しいというエゴの考えは頑ななものだった。いや、むしろフリーダが当主となる未来しか想像していなかったほどに。そのエゴの理想とするヴェラキッカ家の未来像を打ち砕いたのは、フリーダに婚約の話が持ち上がったときだった。相手は血盟議会の支配圏において絶大な権力を誇るデリコ家の次期当主、ダリ・デリコである。婚約の約束は交わされども、実際に結婚するのはダリが繭期を越えて血盟議会に入り、ある程度の出世をしてからのことである。現時点では親同士が取り決めた口約束である。だが姉を崇拝するエゴがそれを聞かされた瞬間、彼の思い描いていた未来像はガラガラと音を立てて崩れた。エゴが10歳の誕生日間際に屋敷を飛び出したのは、ヴェラキッカ家の古き習わしに対する彼なりのささやかな抵抗であった。寒い冬の日のことである。その日は雪が深かった。エゴは凍える指先を息で温めながら行くあてもなく歩いていた。

「どうしてこんなところにひとりでいるの?」雪景色の中、石造りの橋の中程にまで差しかかったところで、ふいに声をかけられた。大雪という悪天候に時間が遅いこともあり、周りに人気はなかった。ただ声のぬしである少女だけがぽつねんとそこに佇んでいた。エゴよりも歳は少し上。どことなく姉のフリーダを思わせる気品を漂わせている。エゴは少女の存在に気づくと同時に強い違和感を覚えた。姉のフリーダは繭期を迎え、今は屋敷を離れてクランにいる。姉と同じ年頃であるならば、そこにいる少女もクランに入っているべきだ。

「ねえ、知ってる? あたしたち吸血種の心はみんな、《TRUMP》の心と繋がってるんだって」

《TRUMP》──聞き覚えがある。昔、乳母が読み聞かせてくれた御伽話に出てくる吸血種だ。すべての吸血種のはじまりであり、ただひとり、永遠に終わることのない命を持ち続けているという。エゴの意識が過去の思い出に向いた瞬間のことだった。少女は獣のごとき素早さでエゴの首筋に咬みついた。意識が遠のく。まるで自分が大切にしていた持ち物を他人に無理やり奪われるかのように。エゴはそのまま雪の降り積もる地面に倒れこんだ。少女の声が響く。

「我がイニシアチブのもとに命じる。あなたはね、これからダミアン・ストーンになるの……」

それからエゴは少女と共に過ごすようになった。少女は、ヴェラキッカ一族の支配圏外にある奥深い山中の渓谷の街にひとりで住んでいた。そこは犯罪などを犯した吸血種が寄り集まる貧民街で、裕福なヴェラキッカ家の子息とは縁遠い場所である。

「あたしはエマ……エマ・ダミアン・ストーンよ」

イニシアチブを掌握されてすぐに、エゴは少女の本当の名前を教えてもらった。それからエゴは多くのことをエマから学ぶ。ダミアン・ストーンは千年も前に実在した吸血種であること。永遠の命を持つただひとりの吸血種《TRUMP》の信奉者であったこと。イニシアチブの掌握とその後の思想や知識の継承により、ダミアンの人格を擬似的に永続させること。それで完全にダミアンの人格をコピーできるわけではなく、元となった吸血種の人格によって個体差があること。それらが「ダミアン・コピー」や「ダミアンズ」と呼ばれていること。ダミアンの使命は、永遠に生きるという苦しみの中にある《TRUMP》に「精神の繋がり」を通して「美しい死」を捧げること。ダミアンたちはそれを「残酷劇-グランギニョル-」と呼んでいることも。

「《TRUMP》に生きてて良かったって思ってもらいたいの」エマはなんの迷いもなくそう言ってのけた。またエマは自分のことを話してくれたこともあった。エマがダミアン・ストーンとして最初に捧げた死は、実の妹の死である。「あたしはね、妹を愛していたの。妹のためにだけに生きてきた。妹のためならなんだって出来ると思ったし、実際どんなことでもしてきたわ。あの子のためなら破滅したってかまわなかった。ずっとふたりきりだった──だからね、あの子はあたしのファム・ファタールなのよ」彼女は微笑みながらそう話したことがあった。妹はエマのすべてだった。だから「美しい死」としてこれ以上ない題材だったのだ。エマは家畜などから血液を採取する器具を使って、出来るだけ妹の体を傷つけることなくゆっくりと失血死させていった。とてもゆっくりだったので妹が出血多量で死に至るまでに三日三晩かかったが、エマは付きっきりでそれを見届けた。死にゆく自分の運命を理解できなかったのだろうか。自分を「美しい死」として《TRUMP》に捧げようとする姉を見つめる妹の眼差しは、最後まで愛する人を見るものだったそうだ。やがて妹は死に絶え、そのあとエマは妹の亡骸を剥製にして自分の部屋に飾って、それを見ては心から苦しみ悲しんでいる。その彼女の心もまた永遠を生きる《TRUMP》に対する供物なのだ。

エマの妹はシャルロッテという名だった。エゴは剥製となったシャルロッテを見て、「美しい死」がなんたるかを知った。そして、それに深く魅入られるようになった。

エゴがダミアン・ストーンとして思想と知識を学ぶ最中(さなか)、「美しい死」を共に創りあげたエマとシャルロッテに対する強い共感が混ざりこんできた。エゴは、エゴ・ヴェラキッカであり、ダミアン・ストーンであり、エマであり、ゆっくりと血を失いながら「美しい死」となったシャルロッテでもあった。記憶の複合体として特異なダミアンが形成されようとしていた。そしていつの日か《TRUMP》に捧げる残酷で美しい死を──。

姉であるフリーダの婚約に反発し、屋敷を飛び出した。その後、家出人届けが出されたが誰もエゴを見つけることは出来なかった。そのエゴが何事もなかったかのようにヴェラキッカ家の屋敷に戻ったのは、家出から半年後のことである。

舞台『マリオネットホテル』

出演:染谷俊之、愛加あゆ 作・演出:末満健一